ねこえびすの名著決定版

野良ネコ音吉の勝手に決定「名著」ブログ

内堀弘『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』

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 内堀弘著『ボン書店の幻 モダニズム出版社の光と影』(ちくま文庫)。ここ数年で、音吉にとってはいちばん読み応えがあり、感動した本です。

 鳥羽茂(とば・いかし)という出版人をご存知でしょうか。1930年代の数年間、その後の詩壇を率いる詩人たちを輩出した出版社『ボン書店』の主です。とはいっても、オーナー兼編集者兼デザイナー兼印刷工の「ぼっち版元」(後に結婚して社員[?]は一人増えましたが)。社屋も東京は雑司が谷の一角にあった二間の借家で、土間にドンと一台の印刷機が置かれ、もう片方の部屋で寝起きするという、出版社というよりは町の印刷屋さんといった風情ですね。

 ボン書店という名は、デザインの斬新さと希少性のゆえに古書界では有名だったようですが、ボン書店そのものであった鳥羽茂については、研究者もいなければ資料も少なく、鳥羽茂は久しく忘却の彼方に捨て置かれていたといってもいいでしょう。

 その彼に近年、スポットライトをあてた方がいます。古書店石神井書林』の店主、内堀弘さんです。

 

「「モダニズムの時代」、これは一般的に1920(高岡注:原文は漢数字。以下年代表記同)年代中盤から1930年代初頭にかけてを指している。もちろん前史があり、持続と変容の後史があるわけだが、この一時期に弾けた新しい感覚は誠に際立ってていたと言わねばならない。なにしろカフェの装飾から足袋屋の看板に至るまで「レスプリ・ヌウボオ」(新しき精神)の息吹が溢れていたのだ。

 さて、この時代も後半にさしかかった頃である。ボン書店という小さな出版社が姿を現わした。出版社といっても社員を雇い事務所を設け、というのではない。たった一人で活字を組み、自分で印刷もして、好きな詩集を作っていたらしい。こんな小さな出版社だったが1930年代初頭から北園克衛春山行夫安西冬衛山中散生というモダニズム詩人たちの詩集やシュルレアリズム文献を次々と送り出してゆくことになる。そして数年後、彗星のように消えてしまった。

 半世紀が過ぎて、この小さな出版社には「幻の」という言葉がとても似合うようになってしまった。あれは何だったのか、よく分からなくなってしまうと私たちはいつもこの便利な形容詞を付けてしまう。だが、モダニズム詩に興味を持った人ならばどこかでこのそっけない名前の「幻の出版社」に出会っているはずだ。

 ボン書店の書物はいずれも小部数の出版だったが、まずこの小さな出版社がラインナップした著者(詩人)たちの顔ぶれである。彼らの多くは今でこそモダニズム詩の中心的な詩人として評価を得ているが、当時はまだ新鋭詩人の一人にすぎなかた。つまり若かった頃の彼らを追えばボン書店の名前にぶつかることになる。もう一つはこれらの詩書に共通する卓越した造本感覚である。ル・コルビジェの建築やエリック・サティの音楽に現れたシンプルでしかし洗練された感性は当時のモダニズム詩人に大きな影響を与えているが、ボン書店の書物にもこの感性が充分に生かされていた。華美に走らず通俗に陥らず、作品を盛る器(書物)の簡素な美しさは今も色褪せてはいない。作品はこの器(書物)を求めた。そんなオリジナル性としてボン書店の名前は姿を見せる」(p.11 - 13)

 

 こうして内堀さんは、関係者の著書や生き証人へのインタビュー、現地調査等々、気の遠くなるような研究を重ねて、遂に鳥羽茂の生涯と業績、そして苦悩を発掘し浮き彫りにすることに成功します。その見聞のありかたと検証過程は学者やジャーナリストも見習ってほしいほど緻密なものですし、なによりも内堀さんのお人柄が滲み出ていながらシンプルで的確な文章が素晴らしいです。話題が少しずれますが、内堀さんの随筆は高岡が10ページに一度は声を出して笑ってしまうほど楽しく、それでいて心に残るものばかりです。『石神井書林日録』、『古本の時間』(いずれも晶文社)など併せてご一読をお薦めします。

 話を戻しましょう。

 

「(ところで、)八月に出た『詩学』十二号(終刊号)の後記には追いつめられたような感想が吐露されていた。

 

「詩も書きたい、雑誌も続けて出したい、寄稿誌も読みたい、新聞も見たい、新刊にも目を通したい、接客もしたい、依頼される原稿も書きたい、人も訪ねたい、会にも出たい、展墓もしたい、肉親にも会いたい、そして少し贅沢を言はせてもらへば、一週間ばかり眠りたい、どれも充分果たせない」」(p.183)

 

 奥様に先立たれ、資金も底をつき、まだ幼い我が子を連れて追われるように東京を去った鳥羽茂は、既に誰一人として身寄りのない郷里で28歳の生涯を閉じます。この輝かしい業績を遺しながらも忘れ去られた青年を今に蘇らせたのは、高名な学者でも売れっ子の文化人でもない、詩をこよなく愛する一人の古書店主でした。

 

シモーヌ・ド・ボヴォワール『おだやかな死』

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 今回の本は、シモーヌ・ド・ボヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908 - 1986)の『おだやかな死("Une mort très douce", 1964)』です。

 ボヴォワールのことは改めて説明するまでもないと思いますが、念のために簡単に。彼女は20世紀を代表する哲学者にしてフェミニストサルトルと共に神無き実存主義を牽引し、政治的には社会主義を標榜しつつ、書斎を出て女性開放運動に身を投じました。

 キリスト教徒の家庭に育った僕が教会に行かなくなったのは中学2年生の時のこと。以来、妻さんとの出会いで信仰を取り戻すまでの20年にわたって僕の心を占めていた実存主義哲学は、サルトルとボヴォワールの著作や、マスコミを通じて発信される彼らの発言によって彩られていました。

 ボヴォワールに関しては鮮烈な思い出があります。

 初めて渡欧した19歳の夏のことです。ドイツで僕の面倒をみてくれたスイス人の義姉の口から、

「女性の置かれている隷属的な状況は、男性から様々な権利を奪い取らなければ解決しない」

 という言葉が飛び出しました。

 日本でもフェミニズムという言葉や概念は既に存在しましたから知識としてはあったんですが、なにせ「女のくせに」とか「女々しい(これは未だに聞きますね)」なんて言葉がフツーに使われていた昭和でしたし、日本人的には激しく感じられる言葉に驚いて、

「男性に働きかけて、お互いに理解し合いながら現状を変えていくことって無理なのかな」

 と言ったら、

「涼太も所詮は男だよね。そんなヤワなことで解決できるわけがないでしょう。根深い問題なんだから」

 と鼻で笑われてしまいました。今にしてみれば彼女の言わんとしたことは明確に分かりますし、義姉の主張がボヴォワールの『第二の性』に基づいていることも知っているのですが、当時の僕は、その辺のインテリよろしく「知ってはいるが理解していない」甘ちゃんに過ぎませんでした。

 さて『おだやかな死(”Une mort très douce”)』ですが、この著書は、1964年にがんで亡くなった母にボヴォワールが付き添い、死を看取るまでに覚えた自身の心の動きを克明に書きとったものです。サルトルは同書を「シモーヌの最良の作品」と評価しています。

 

「非常に稀なことではあるが、愛や友情や仲間意識が死の淋しさに打ちかつことがある。しかし、外見にもかかわらず、私が母の手を握っている時でも、私は母とともにいなかった。母にうそをついていた。母は昔からずっとだまされ続けて来たひとだったから、この最後のうそは私にはたまらなかった。母に乱暴を働く宿命と私は共犯者になっていた。そのくせ、自分の肉体の細胞のひとつひとつで、私は母が死を拒む叫びに共鳴し、母の犯行に荷担していた。それゆえにまた、母の敗北は私を打ちのめした。母が息を引き取った時、私はそのばにいなかった ― ひとの臨終に立ち会ったことは三度もある ― それだのに、私が死の舞踏のあの死神の姿を見たのは母の枕もとだった。狡猾な、不気味に冷笑する死神、鎌を手に戸をたたく、お伽話の死神、奇怪な、非人間的な姿でやってくる死神、それどころか、大きな無智な笑いの中に顎の形をむき出しにしている母の顔さえそれはそなえていたではないか。

 「年に不足はない。」老人の悲しみ。彼らの流刑。大部分のものはこの不足のないという年を告げる鐘が鳴ったことを考えない。私もまた、自分の母親のことでさえ、この紋切型を利用した。七十歳以上の親なり祖父母なりをなくしたものが心から泣くことができるとは私には理解できなかった。母を失ったという理由で打ちひしがれている五十歳の同性に出逢ったら、私はそのひとを神経衰弱ときめつけたであろう。我らはすべて死すべきもの。八十と言えば、死人になる十分の資格のある年ではないか……。

 そうではなかった。ひとは生まれたから死ぬのでもなく、生き終ったから、年をとったから死ぬのでもない。ひとは何かで死ぬ。母が年から言って死期は遠くないと私が心得ていることが怖しい衝撃を緩和しはしなかった。悪性腫瘍ができていたという意外な事実の発見。癌、血栓、肺の充血、すべて空中でエンジンがとまったのと同じくらい、きびしいこと、思いがけぬことである。病床に釘づけになり、死に瀕していながら、刻々の時間の無限の価値を確認した時、母は私を楽天主義に誘った。しかしまた、母の空しい生への執着が日常茶飯の安全を保証したカーテンを引き裂いた。自然死は存在しない。人間の身におこるいかなることも自然ではない。彼の現存が初めて世界を問題にするのだから。ひとはすべて死すべきもの。しかし、ひとりひとりの人間にとって、その死は事故である。たとえ、彼がそれを知り、それに同意を与えていても、それは不当な暴力である」(p.155 - 157)

 

福岡カルメル会編訳『沈黙を聴く ー 現代の神秘家モーリス・ズンデルの人と霊性』

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 宗教関係の本は馴染みが薄いかもしれませんが、少々お付き合いください。モーリス・ズンデル神父(1897 - 1975)の『沈黙を聴く 現代の神秘家モーリス・ズンデルの人と霊性』(女子パウロ会)です。

 ズンデル神父は、前世紀の初頭にあって、現代のカトリック教会にあってすら保守的な人々が眉をひそめるような斬新な思想の神学者であったがために、30年近くにわたってヴァチカンから遠ざけられ、生国のスイスからフランス、エジブト、レバノンの教区を転々とすることになります。

 なぜ疎まれたのかについては神学的なお話になるので詳しくは触れませんが、聖職者や修道者になったり、公教要理(カテキズム)を厳守するのが神に至る道だと考えられていた時代にズンデル神父は、聖職者であれ信徒であれ、それぞれが自分らしく生きることでそれぞれに与えられた使命を果たすことだと説いていました。蛇足ですが、こうした思想は1972年にズンデル神父が時の教皇パウロ六世にヴァチカンでの黙想指導に招かれて以来、一部の原理主義的保守派を除き、ローマ・カトリック教会に広く認められています。

 沈黙を聴くという発想を不思議に思うかもしれません。カトリック教徒でさえ、これを直感的に理解できる人は少ないんじゃないでしょうか。

 遠藤周作の小説『沈黙』でも、どんなに信仰が厚くても、どんなに危機的な状況に追い込まれても神が沈黙を守り続けることへの信徒の苦悩がテーマになっています。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない」と言っていた使徒トマスに、復活したイエスが「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と言ったことを知っているキリスト教徒ですら、日々祈り、願う相手である神が沈黙を貫くことは、時には漠然と、時には先鋭化した「神の不在」という恐怖や不審となり得るのです。

 ところがズンデル神父は、沈黙こそは神へと至る唯一の道であり、汲めども尽きぬ真理の源泉だというのです。

 

「「(私が起こした奇跡のことを[注釈:高岡])だれにも話してはならない。」これはイエスが病をいやした人に言われたことばである。キリスト教のすべてはこのことばにかかっている。「だれにも話してはならない。」

 大部分の人々にとって、キリスト教が愛の情熱、希望するものをはるかに超えて彼らを満たす答えである代わりに、果たすべき数々の義務のようになってしまったのは、たぶん私たちがこの沈黙の精神が分からないか、またはそれを失ってしまったためであろう。

 こうして、沈黙はますます破壊され、キリスト教は集団的な禁令、沈黙に根差す唯一の偉大さを失った集団の運動と化してしまう恐れがある。沈黙なしには何もなし得ないことは確かだ。私たちの自由を創造する沈黙、人類のうちに私たちを造り出すのはこの沈黙である。そして、私たちが神に出会い、自分たちの生物的自我と、大衆を支配しているいろいろなスローガンに打ち勝つのは、そこにおいてなのである」(P.106)

 

「真実に孤独であればあるほど、私たちはともにいることができるのだ。宗教的生活を公分母にしてしまってはならない。個人的な神との出会いは、つねに新しくユニークなものであらねばならない。宗教的物質主義は何よりも恐ろしい。典礼生活の外側のみに重点をおいて内側をおそろかにするなら、典礼はまったく不透明なものになってしまうであろう。共同体は各人の個人性に協力し、個人の秘められた部分を見いださせ、共通善と同時にその人に固有な善を発見させなければならない。外的な動作しか大切にされず、神との個人的な親密さのない場所がない騒々しさほど、魂を傷つけ、生皮を剥ぐような残酷さはない。

 すべて偉大な業は沈黙の業である。毎日完全な沈黙の時を持ち、私たちをつねに新たに生まれさせてくださる神にこの沈黙の場をあけないなら、そしてすべての人々をそこに見いだし、表面的なすべての流れから逃れさせるこの中心的な層に達して生きないなら、私たちは決して真のキリスト者、真の人間にはなれないであろう。イエスの犠牲は神のうちに隠れ、神とすべての人に与えられて完成した。それは沈黙の調べ! 私たちが神の現存を呼吸できるのも沈黙のうちにおいてである」(p.108)

 

 自分のうちに騒ぎを起こさず、私の置かれている境遇や願いを神はすべてご存知なのだから、あれやこれやを神に願い祈ることはせず、自分の心を空っぽにして神に引き渡せばよい。

 ここで注意すべきは、心を空っぽにすることと禅の無の境地とは似て非なるものだということです。最後にその違いの分かるくだりを紹介して今日の締めくくりといたします。

 

「世を捨てるとは何だろうか? 人々から離れ、人間生活の当然の要求を拒否し、生きるための戦いを逃れることか? それではあまりにも簡単で安易である。外的な壁を立て、講師を作っても、それが人をキリスト者とするのではない。

 世とは、私である。世の精神とは自己崇拝である。世を捨てるとは自分を捨てることである。では、自分を捨てるには何をすべきか? 手荒く本能を抑圧し、誘惑を押さえつけ、細かく良心を糾明し、すべてにおいて、すべてをもって自分に反対することか?

 いいえ、むしろ自分を放っておくこと、自分に構わないこと、自己を改善するためにでさえ自分を眺めないことである。殺すことではなく、いやされること。そしていやされるためには、良きサマリア人がしたこと以上の行為はない。

 自分と戦うよりも、自分を与えること。自分など眺めるに足りないものと分かって。夢中になって主を眺めること。彼のうちに自分を失ってしまうほどに!

 大自然雄大な眺めを前に、人間は小さなもの狭いものを忘れてしまう。神の美しさに魅せられた人は、もはや自分を眺めない。光の中に隠れて、その輝きを曇らせないことだけを願う。「あなたのみ顔を、主よ、あなたのみ顔を私は探し求めます!」

 このように愛するとき、すべての被造物は私たちにとって、主の玉座、そのみ足の足台となるであろう。しすて私たちは聖アウグスティヌスのこの言葉を理解するようになる。「愛しなさい。そしてあなたの望むことをしなさい。」(p.90)

 

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア『私には夢がある』演説全文

www.youtube.com

【以下はキング牧師による1963年8月28日の演説全文(後段に原文もあります)です】

 

 今日、私は米国史の中で、自由を求める最も偉大なデモとして歴史に残ることになるこの集会に、皆さんと共に参加できることを嬉しく思います。

 100年前、ある偉大な米国民が、奴隷解放宣言に署名しました。今、我々は、その人を象徴する坐像の前に立っています。この極めて重大な布告は、容赦のない不正義の炎に焼かれていた何百万もの黒人奴隷たちに、大きな希望の光明として訪れました。それは、捕らわれの身にあった彼らの長い夜に終止符を打つ、喜びに満ちた夜明けとして訪れたのです。

 しかし100年を経た今日、黒人は依然として自由ではありません。100年を経た今日、黒人の生活は、悲しいことに依然として人種隔離の手かせと人種差別の鎖によって縛られています。100年を経た今日、黒人は物質的繁栄という広大な海の真っ只中に浮かぶ、貧困という孤島に住んでいるのです。100年を経た今日、黒人は依然として米国社会の片隅で惨めな暮らしを送り、自国にいながら、まるで亡命者のような生活を送っています。そこで私たちは今日、この恥ずべき状況を劇的に訴えるために、ここに集まったのです。

 ある意味で、我々は、小切手を換金するためにわが国の首都に来ています。我々の共和国の建築家たちが合衆国憲法と独立宣言に崇高な言葉を書き記した時、彼らは、あらゆる米国民が継承することになる約束手形に署名したのです。この手形は、すべての人々は白人と同じく黒人も、生命、自由、そして幸福の追求という不可侵の権利を保証される、という約束でした。

 今日米国が、黒人の市民に関する限り、この約束手形を不渡りにしていることは明らかです。米国はこの神聖な義務を果たす代わりに、黒人に対して不渡りの小切手を渡したのです。その小切手は「残高不足」の印をつけられて戻ってきました。

 しかし我々は、正義の銀行が破産しているなどと思いたくありません。この国の可能性を納めた大きな金庫が資金不足であるなどと信じたくはありません。だから我々は、この小切手を換金するために来ているのです。自由という財産と正義という保障を、請求に応じて受け取ることができるこの小切手を換金するために、ここにやって来たのです。我々はまた、現在の極めて緊迫している事態を米国に思い出させるために、この神聖な場所に来ています。今は、冷却期間を置くという贅沢にふけったり、漸進主義という鎮静薬を飲んだりしている時ではありません。今こそ、民主主義の約束を現実にする時です。今こそ、暗くて荒廃した人種差別の谷から立ち上がり、日の当たる人種的正義の道へと歩む時です。今こそ、我々の国を、人種的不正の流砂から、兄弟愛の揺るぎない岩盤の上へと引き上げる時です。今こそ、すべての神の子たちにとって、正義を現実とする時です。

 この緊急事態を見過ごせば、この国にとって致命的となることでしょう。黒人たちの正当な不満に満ちたこの酷暑の夏は、自由と平等の爽快な秋が到来しない限り、終わることはありません。1963年は、終わりではなく始まりです。黒人はたまっていた鬱憤を晴らす必要があっただけだから、もうこれで満足するだろうと期待する人々は、米国が元の状態に戻ったならば、たたき起こされることになるでしょう。黒人に公民権が与えられるまでは、米国には安息も平穏が訪れることはありません。正義の明るい日が出現するまで、反乱の旋風はこの国の土台を揺るがし続けるでしょう。

 しかし私には、正義の殿堂の温かな入り口に立つ同胞たちに対して言わなければならないことがあります。正当な居場所を確保する過程で、我々は不正な行為を犯してはなりません。我々は、敵意と憎悪の杯を飲み干すことによって、自由への渇きを癒そうとしないようにしましょう。我々は、絶えず尊厳と規律の高い次元での闘争を展開していかなければなりません。我々の創造的な抗議を、肉体的暴力へ堕落させてはなりません。我々は、肉体的な力に魂の力で対抗するという荘厳な高みに、何度も繰り返し上がらなければなりません。信じがたい新たな闘志が黒人社会全体を包み込んでいるが、それがすべての白人に対する不信につながることがあってはなりません。なぜなら、我々の白人の兄弟の多くは、今日彼らがここにいることからも証明されるように、彼らの運命が我々の運命と結び付いていることを認識するようになったからです。また、彼らの自由が我々の自由と分かち難く結びついていることを認識するようになったからです。我々は、たった一人で歩くことはできません。

 そして、歩くからには、前進あるのみということを心に誓わなければなりません。引き返すことはできないのです。公民権運動に献身する人々に対して、「あなたはいつになったら満足するのか」と聞く人たちもいます。我々は、黒人が警察の言語に絶する恐ろしい残虐行為の犠牲者である限りは、決して満足することはできません。我々は、旅に疲れた重い体を、道路沿いのモーテルや町のホテルで休めることを許されない限り、決して満足することはできません。われわれは、黒人の基本的な移動の範囲が、小さなゲットーから大きなゲットーまでである限り、満足することはできません。我々は、我々の子どもたちが、「白人専用」という標識によって、人格をはぎとられ尊厳を奪われている限り、決して満足することはできません。ミシシッピ州の黒人が投票できず、ニューヨーク州の黒人が投票に値する対象はないと考えている限り、我々は決して満足することはできません。そうです、決して、我々は満足することはできないのです。そして、正義が河水のように流れ下り、公正が力強い急流となって流れ落ちるまで、我々は決して満足することはないでしょう。

 私は、今日ここに、多大な試練と苦難を乗り越えてきた人々が、あなたがたの中にいることを知らないわけではありません。刑務所の狭い監房から出てきたばかりの人たちも、あなたがたの中にいます。自由を追求したために、迫害の嵐に打たれ、警察の暴力の旋風に圧倒された場所から、ここへ来た人たちもいます。あなたがたは常軌を逸した苦しみの経験を重ねた勇士です。これからも、不当な苦しみは救済されるという信念を持って活動を続けようではありませんか。

 ミシシッピ州へ帰っていきましょう、アラバマ州へ帰っていきましょう、サウスカロライナ州へ帰っていきましょう、ジョージア州へ帰っていきましょう、ルイジアナ州へ帰っていきましょう、そして北部の都市のスラム街やゲットーへ帰っていきましょう。きっとこの状況は変えることができるし、変わるだろうということを信じて。

 絶望の谷間でもがくことをやめましょう。友よ、今日私は皆さんに言っておきたいのです。我々は今日も明日も困難に直面しますが、それでも私には夢があります。それは、アメリカの夢に深く根ざした夢です。

 私には夢があります。それは、いつの日か、この国が立ち上がり、「すべての人間は平等に作られているということは、自明の真実であると考える」というこの国の信条を、真の意味で実現させるという夢です。

 私には夢があります。それは、いつの日か、ジョージア州の赤土の丘で、かつての奴隷の息子たちとかつての奴隷所有者の息子たちが、兄弟として同じテーブルにつくという夢です。

 私には夢があります。それは、いつの日か、不正と抑圧の炎熱で焼けつかんばかりのミシシッピ州でさえ、自由と正義のオアシスに変身するという夢です。

 私には夢があります。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢です。

 今日、私には夢があります。

 私には夢があります。それは、邪悪な人種差別主義者たちのいる、州権優位や連邦法実施拒否を主張する州知事のいるアラバマ州でさえも、いつの日か、そのアラバマでさえ、黒人の少年少女が白人の少年少女と兄弟姉妹として手をつなげるようになるという夢です。

 今日、私には夢があります。

 私には夢があります。それは、いつの日か、あらゆる谷が高められ、あらゆる丘と山は低められ、でこぼこした所は平らにならされ、曲がった道がまっすぐにされ、そして神の栄光が啓示され、生きとし生けるものがその栄光を共に見ることになるという夢です。

 これが我々の希望です。この信念を抱いて、私は南部へ戻ります。この信念があれば、我々は、絶望の山から希望の石を切り出すことができるでしょう。この信念があれば、我々は、この国の騒然たる不協和音を、兄弟愛の美しい交響曲に変えることができるでしょう。この信念があれば、我々は、いつの日か自由になると信じて、共に働き、共に祈り、共に闘い、共に牢獄に入り、共に自由のために立ち上がることができるでしょう。

 まさにその日にこそ、すべての神の子たちが、新しい意味を込めて、こう歌うことができるでしょう。「わが国、それはそなたのもの。うるわしき自由の地よ。そなたのために、私は歌う。わが父祖たちの逝きし大地よ。巡礼者の誇れる大地よ。あらゆる山々から、自由の鐘を鳴り響かせよう」。

 そして、米国が偉大な国家たらんとするならば、この歌が現実とならなければなりません。だからこそ、ニューハンプシャーの美しい丘の上から自由の鐘を鳴り響かせましょう。 ニューヨークの雄大な山々から、自由の鐘を鳴り響かせましょう。ペンシルベニアアレゲーニー山脈の高みから、自由の鐘を鳴り響かせましょう。

 コロラドの雪に覆われたロッキー山脈から、自由の鐘を鳴り響かせよう。カリフォルニアのなだらかで美しい山々から、自由の鐘を鳴り響かせましょう。

 しかし、それだけではありません。ジョージアのストーン・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせましょう。

 テネシーのルックアウト・マウンテンからも、自由の鐘を鳴り響かせましょう。

 ミシシッピのあらゆる丘と塚から、自由の鐘を鳴り響かせましょう。そしてあらゆる山々から自由の鐘を鳴り響かせましょう。

 自由の鐘を鳴り響かせましょう。これが実現する時、そして自由の鐘を鳴り響かせる時、すべての村やすべての集落、あらゆる州とあらゆる町から自由の鐘を鳴り響かせる時、我々は神の子すべてが、黒人も白人も、ユダヤ教徒ユダヤ教徒以外も、プロテスタントカトリック教徒も、共に手をとり合って、なつかしい黒人霊歌を歌うことのできる日の到来を早めることができるでしょう。「ついに自由になった! ついに自由になった! 全能の神に感謝。我々はついに自由になったのだ!」



Martin Luther King's "I Have a Dream" Speech

August 28, 1963

 

I am happy to join with you today in what will go down in history as the greatest demonstration for freedom in the history of our nation.

Five score years ago, a great American, in whose symbolic shadow we stand today, signed the Emancipation Proclamation. This momentous decree came as a great beacon light of hope to millions of Negro slaves who had been seared in the flames of withering injustice. It came as a joyous daybreak to end the long night of their captivity.

But one hundred years later, the Negro still is not free. One hundred years later, the life of the Negro is still sadly crippled by the manacles of segregation and the chains of discrimination. One hundred years later, the Negro lives on a lonely island of poverty in the midst of a vast ocean of material prosperity. One hundred years later, the Negro is still languished in the corners of American society and finds himself an exile in his own land. And so we've come here today to dramatize a shameful condition.

In a sense we've come to our nation's capital to cash a check. When the architects of our republic wrote the magnificent words of the Constitution and the Declaration of Independence, they were signing a promissory note to which every American was to fall heir. This note was a promise that all men, yes, black men as well as white men, would be guaranteed the "unalienable Rights" of "Life, Liberty and the pursuit of Happiness." It is obvious today that America has defaulted on this promissory note, insofar as her citizens of color are concerned. Instead of honoring this sacred obligation, America has given the Negro people a bad check, a check which has come back marked "insufficient funds."

But we refuse to believe that the bank of justice is bankrupt. We refuse to believe that there are insufficient funds in the great vaults of opportunity of this nation. And so, we've come to cash this check, a check that will give us upon demand the riches of freedom and the security of justice.

We have also come to this hallowed spot to remind America of the fierce urgency of Now. This is no time to engage in the luxury of cooling off or to take the tranquilizing drug of gradualism. Now is the time to make real the promises of democracy. Now is the time to rise from the dark and desolate valley of segregation to the sunlit path of racial justice. Now is the time to lift our nation from the quicksands of racial injustice to the solid rock of brotherhood. Now is the time to make justice a reality for all of God's children.

It would be fatal for the nation to overlook the urgency of the moment. This sweltering summer of the Negro's legitimate discontent will not pass until there is an invigorating autumn of freedom and equality. Nineteen sixty-three is not an end, but a beginning. And those who hope that the Negro needed to blow off steam and will now be content will have a rude awakening if the nation returns to business as usual. And there will be neither rest nor tranquility in America until the Negro is granted his citizenship rights. The whirlwinds of revolt will continue to shake the foundations of our nation until the bright day of justice emerges.

But there is something that I must say to my people, who stand on the warm threshold which leads into the palace of justice: In the process of gaining our rightful place, we must not be guilty of wrongful deeds. Let us not seek to satisfy our thirst for freedom by drinking from the cup of bitterness and hatred. We must forever conduct our struggle on the high plane of dignity and discipline. We must not allow our creative protest to degenerate into physical violence. Again and again, we must rise to the majestic heights of meeting physical force with soul force.

The marvelous new militancy which has engulfed the Negro community must not lead us to a distrust of all white people, for many of our white brothers, as evidenced by their presence here today, have come to realize that their destiny is tied up with our destiny. And they have come to realize that their freedom is inextricably bound to our freedom.

We cannot walk alone.

And as we walk, we must make the pledge that we shall always march ahead.

We cannot turn back.

There are those who are asking the devotees of civil rights, "When will you be satisfied?" We can never be satisfied as long as the Negro is the victim of the unspeakable horrors of police brutality. We can never be satisfied as long as our bodies, heavy with the fatigue of travel, cannot gain lodging in the motels of the highways and the hotels of the cities. We cannot be satisfied as long as the negro's basic mobility is from a smaller ghetto to a larger one. We can never be satisfied as long as our children are stripped of their self-hood and robbed of their dignity by a sign stating: "For Whites Only." We cannot be satisfied as long as a Negro in Mississippi cannot vote and a Negro in New York believes he has nothing for which to vote. No, no, we are not satisfied, and we will not be satisfied until justice rolls down like waters, and righteousness like a mighty stream.

I am not unmindful that some of you have come here out of great trials and tribulations. Some of you have come fresh from narrow jail cells. And some of you have come from areas where your quest -- quest for freedom left you battered by the storms of persecution and staggered by the winds of police brutality. You have been the veterans of creative suffering. Continue to work with the faith that unearned suffering is redemptive. Go back to Mississippi, go back to Alabama, go back to South Carolina, go back to Georgia, go back to Louisiana, go back to the slums and ghettos of our northern cities, knowing that somehow this situation can and will be changed.

Let us not wallow in the valley of despair, I say to you today, my friends - so even though we face the difficulties of today and tomorrow, I still have a dream. It is a dream deeply rooted in the American dream.

I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal."

I have a dream that one day on the red hills of Georgia, the sons of former slaves and the sons of former slave owners will be able to sit down together at the table of brotherhood.

I have a dream that one day even the state of Mississippi, a state sweltering with the heat of injustice, sweltering with the heat of oppression, will be transformed into an oasis of freedom and justice.

I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.

I have a dream today!

I have a dream that one day, down in Alabama, with its vicious racists, with its governor having his lips dripping with the words of "interposition" and "nullification" -- one day right there in Alabama little black boys and black girls will be able to join hands with little white boys and white girls as sisters and brothers.

I have a dream today!

I have a dream that one day every valley shall be exalted, and every hill and mountain shall be made low, the rough places will be made plain, and the crooked places will be made straight, and the glory of the Lord shall be revealed and all flesh shall see it together.

This is our hope, and this is the faith that I go back to the South with.

With this faith, we will be able to hew out of the mountain of despair a stone of hope. With this faith, we will be able to transform the jangling discords of our nation into a beautiful symphony of brotherhood. With this faith, we will be able to work together, to pray together, to struggle together, to go to jail together, to stand up for freedom together, knowing that we will be free one day.

And this will be the day -- this will be the day when all of God's children will be able to sing with new meaning:

"My country 'tis of thee, sweet land of liberty, of thee I sing.

Land where my fathers died, land of the Pilgrim's pride,

From every mountainside, let freedom ring!"

And if America is to be a great nation, this must become true.

And so let freedom ring from the prodigious hilltops of New Hampshire.

Let freedom ring from the mighty mountains of New York.

Let freedom ring from the heightening Alleghenies of Pennsylvania.

Let freedom ring from the snow-capped Rockies of Colorado.

Let freedom ring from the curvaceous slopes of California.

But not only that:

Let freedom ring from Stone Mountain of Georgia.

Let freedom ring from Lookout Mountain of Tennessee.

Let freedom ring from every hill and molehill of Mississippi.

From every mountainside, let freedom ring.

And when this happens, when we allow freedom ring, when we let it ring from every village and every hamlet, from every state and every city, we will be able to speed up that day when all of God's children, black men and white men, Jews and Gentiles, Protestants and Catholics, will be able to join hands and sing in the words of the old Negro spiritual:

 

"Free at last! Free at last!

Thank God Almighty, we are free at last!"

 

宮田律『オリエント世界はなぜ崩壊したか ー 異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智』

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6月4日 お詫びと訂正: 去る6月2日より、タイトル欄の著者名を誤ったまま掲載を続けておりました。著者、宮田さんのお名前は【誤】修 → 【正】律(おさむ)です。著者の宮田さんに無礼をはたらきましたこと、この場をお借りしまして衷心よりお詫び申し上げます。

 

 今日の本は、 宮田 律 (Osamu Miyata)さんの『オリエント世界はなぜ崩壊したか ー 異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智』(新潮選書)です。

 宮田さんは現代イスラム研究センターの理事長をお務めで、古代オリエント世界から現代のイスラム世界に連なる研究と論評において文字通りの第一人者でいらっしゃいます。

 こんな紹介をすると、いわゆる象牙の塔にお籠もりするしかめっ面の学者を想像されるかもしれませんが、宮田さんは柔軟で寛容な精神をお持ちで、必要に応じてどこにでも出向き、誰とでも分け隔てなくお話のできる方です。

 なぜ安全な象牙の塔から下野して、今なお痛めた腰に手を当てながら政情不安な現地を訪ね歩くのかについて宮田さんは、米国留学時代に師事したニッキー・ケディ教授の影響であると御本に書いておられます。

「私は文献だけではなく、実際にイスラム諸国を見聞することを研究の中心においた。地道に現地社会を観察しなければ、研究の目も曇り、論理も弱くなり、さらには書く文章にも力が入らないと思うようになった」(p.15)

 宮田さんはFacebookに連日のように内容の濃いご投稿を続けていらっしゃるのですが、これはサイドワークにしては大変な重労働です。(こんなことを書くとお叱りを受けるかもしれませんが)お金にもなりません。ご自身に苦役を強いるだけの動機って何なんだろう。そんな疑問を宮田さんのご投稿を日々拝読しながらずっと覚えていたんですが、次の行が目に留まったときに「!」と思ったんです。

「人類には今日まで文明を築き上げてきた叡智がある。誕生間もない心もとない文明の灯を絶やすことなく受け継いできた古代、幾度となく破壊を繰り返しながらも新たな文明を獲得したその後の世代……さまざまな経験を積み重ねて、今の人類が存在する。ならば、これからの人類にそれが出来ないはずがないではないか。人類は何も絶望するために文明を築いたわけではないのである」(p.25 - 26)

 そして御本のコアを「人類の文明を源流からたどり、長い歴史の中で獲得した叡智を探し求めること」(p.26)であるとされ、こう語りかけます。

「(だが、)人類は一日でも早く、原点に立ち返る、もしくは立ち返ることを考えはじめなければならないと思う。それは長きにわたって中東文明を見続けた、一研究者の感覚からくるものである。このままだと、人類は積み上げてきたものさえも失ってしまう――」(p.26)

 もちろんこれだけだとは思いませんが、宮田さんを突き動かし続ける強い理由の一つなのではと思えてなりません。

 また、なぜオリエント世界がテーマなのかについては、次のように書いていらっしゃいます。

「そこには今に生きるさまざまな事象の誕生があり、失われた文明というよりも、今もなお生き続けているということが分かるはずである。「オリエント」をたずねることにはそんな意味がある」(p.34)

 本論では、古代から現代にわたるオリエント世界のつぶさな分析と紐付けが行われ、途切れることのない過去からの連鎖が「今」を形作っていることが見事に検証されています。

 その上で宮田さんはこう語ります。

「手段を選ばず国益を追求する欧米の意図がイラクやシリアのように、「殺し合うオリエント」をもたらした。かつて共存のシステムが機能し、世界の学芸科学の中心であったオリエントの歩みは、欧米の進出によって止まってしまったのかもしれない。しかし、そこに人間が営みを続ける以上、新たな歴史が作られていく。この新たな歴史がかつての繁栄し、まばゆいほどの光を貼っていたオリエントのようなものであってほしいと願わずにいられない」(p.200)

「書き換えられた歴史は、掘り起こして昔を知ることもできれば、その上に書き足してゆくこともできる。なによりオリエントには「寛容」がある。

オリエント共存の知恵はこの地域の過去の歴史的発展の中にあるという気がしている」(p.287)

 そして宮田さんは長年の研究から得た知恵を読者に授けてくれるのです。

イスラム世界と欧米が共存していくには、この両者の関係における「よかった過去」を思い起こすことが必要だ。もちろん「よかった過去」もあれば、「よくなかった過去」もある。いずれもが、人類がやって来たことであり、もはや否定することは出来ない。だからこそ求められるのは、そう「寛容」なのである」(p.288)

 寛容と共存。人を人たらしめ、正しい歩みを進めるために足下を照らす灯りは、未来学者やSF作家などではなく、過去より受け継がれてきた叡智として既に与えられているのだということを、宮田さんは示してくださるのです。

 

 

佐野洋子『私の猫たち許してほしい』

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「ドイツにいたとき、台所から隣りの家の小さな窓が見えた。その窓に、黒い洋服を着た老婆が、身動きもせず横を向いて座っていた。

 小さな窓は清潔なレースのカーテンで囲まれ、庭にはもやのかかったような枯草があった。毎日食事が終わると、私は隣りの窓を見た。老婆はすでに座っていた。私は、いつ老婆が立ち上がり、食事をしたり、家の中の事をするのだろうと思い、台所のスチームの上に、かえるのようにしゃがんで、老婆を見守った。

 いつまでたっても老婆は微動だにしなかった。窓の中の老婆は、額縁の中の絵であった。

 私が執念深く老婆が動くことを期待したのは、何であったのだろうか。

 たんなる下世話な好奇心であったのだろうか。生きていることは動くことであると信じている、思いあがりであったのだろうか。

 身じろぐこともなく老婆が座っているということが、強固に生きつづけているというあかしであり、命というものの不思議であった」

 

佐野洋子著『私の猫たち許してほしい』(ちくま文庫) p.66 - 67 

 

 佐野洋子さんは絵本『百万回生きたねこ』(1977)で広く世に知られた絵本作家にしてエッセイスト。2012年に惜しくも乳がんで帰天されましたが、その後も『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(2012)や『ヨーコさんの言葉』(2014)などの映像作品が放送・放映されるなど、没後も高い人気をほこっています。

 男の僕からみると、佐野さんはズケズケものを言うオバちゃんと、自分を外から眺めることのできる能力を、綱渡りをしながら生き切った人だと感じています。

 佐野さんは世のオバちゃんと同じく、自分が大好きなんです。一方で自分を眺め、一刀両断するだけの知性と強靭な精神をもっているところが、佐野さんを佐野さんたらしめているんじゃないかなと。先の抜粋に登場する「私が執念深く老婆が動くことを期待したのは、何であったのだろうか」というくだりが正にそれです。

 佐野さんの魅力はもう一つあると思います。それは人に対する温かい眼差しです。世に切れ者のエッセイストは少なからずいらっしゃいますが、たいていの方は程度の差こそあれ、

「ね、私ってキレっキレでしょ!」

 という自慢が見え隠れするものですが、佐野さんのエッセイにはそれが微塵も感じられません。

 勝手な想像ですが、

「私ってね、ホントにバカだしオッチョコチョイなのよ。でもね、それが愛おしいのよね。私、私のことが大好きよ」

 って声が行間から聞こえてくるような気がするんです。佐野さん、そんなあなたの在りかた、僕も大好きですよ。

カリール・ジブラン『預言者』

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 カリール・ジブラン(ハリール・ジブラーン)という詩人をご存知でしょうか。

 ジブランは1883年にレバノンで生まれ、1931年にニューヨークで没した詩人にして画家・彫刻家で、詩人としては「20世紀のウイリアム・ブレイク」と称されるほど高い評価を受けています。

 今回紹介する『預言者(The Prophet)』は1923年に英語で発表された詩集で、美智子上皇后の愛読書としても知られています。

 

あなたは語る。思考の平和に在ることを止めるときに。

そして、もはや心の孤独にとどまり切れぬとき、あなたは唇に生きることになる。音声は気晴らし、気慰み。

多くを語るとき、思考は半ば殺されたも同じ。

なぜなら、思考は空間に生きる鳥で、言葉の籠のなかでは、その翼を拡げても飛べはしないのです。

 

カリール・ジブラン著 佐久間彪訳『預言者』(至光社) p.78 より

 

You talk when you cease to be at peace with your thoughts;

And when you can no longer dwell in the solitude of your heart you live in your lips, and sound is a diversion and a pastime.

And in much of your talking, thinking is half murdered.

For thought is a bird of space, that in a cage of words may indeed unfold its wings but cannot fly.