ねこえびすの名著決定版

野良ネコ音吉の勝手に決定「名著」ブログ

宮田律『オリエント世界はなぜ崩壊したか ー 異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智』

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6月4日 お詫びと訂正: 去る6月2日より、タイトル欄の著者名を誤ったまま掲載を続けておりました。著者、宮田さんのお名前は【誤】修 → 【正】律(おさむ)です。著者の宮田さんに無礼をはたらきましたこと、この場をお借りしまして衷心よりお詫び申し上げます。

 

 今日の本は、 宮田 律 (Osamu Miyata)さんの『オリエント世界はなぜ崩壊したか ー 異形化する「イスラム」と忘れられた「共存」の叡智』(新潮選書)です。

 宮田さんは現代イスラム研究センターの理事長をお務めで、古代オリエント世界から現代のイスラム世界に連なる研究と論評において文字通りの第一人者でいらっしゃいます。

 こんな紹介をすると、いわゆる象牙の塔にお籠もりするしかめっ面の学者を想像されるかもしれませんが、宮田さんは柔軟で寛容な精神をお持ちで、必要に応じてどこにでも出向き、誰とでも分け隔てなくお話のできる方です。

 なぜ安全な象牙の塔から下野して、今なお痛めた腰に手を当てながら政情不安な現地を訪ね歩くのかについて宮田さんは、米国留学時代に師事したニッキー・ケディ教授の影響であると御本に書いておられます。

「私は文献だけではなく、実際にイスラム諸国を見聞することを研究の中心においた。地道に現地社会を観察しなければ、研究の目も曇り、論理も弱くなり、さらには書く文章にも力が入らないと思うようになった」(p.15)

 宮田さんはFacebookに連日のように内容の濃いご投稿を続けていらっしゃるのですが、これはサイドワークにしては大変な重労働です。(こんなことを書くとお叱りを受けるかもしれませんが)お金にもなりません。ご自身に苦役を強いるだけの動機って何なんだろう。そんな疑問を宮田さんのご投稿を日々拝読しながらずっと覚えていたんですが、次の行が目に留まったときに「!」と思ったんです。

「人類には今日まで文明を築き上げてきた叡智がある。誕生間もない心もとない文明の灯を絶やすことなく受け継いできた古代、幾度となく破壊を繰り返しながらも新たな文明を獲得したその後の世代……さまざまな経験を積み重ねて、今の人類が存在する。ならば、これからの人類にそれが出来ないはずがないではないか。人類は何も絶望するために文明を築いたわけではないのである」(p.25 - 26)

 そして御本のコアを「人類の文明を源流からたどり、長い歴史の中で獲得した叡智を探し求めること」(p.26)であるとされ、こう語りかけます。

「(だが、)人類は一日でも早く、原点に立ち返る、もしくは立ち返ることを考えはじめなければならないと思う。それは長きにわたって中東文明を見続けた、一研究者の感覚からくるものである。このままだと、人類は積み上げてきたものさえも失ってしまう――」(p.26)

 もちろんこれだけだとは思いませんが、宮田さんを突き動かし続ける強い理由の一つなのではと思えてなりません。

 また、なぜオリエント世界がテーマなのかについては、次のように書いていらっしゃいます。

「そこには今に生きるさまざまな事象の誕生があり、失われた文明というよりも、今もなお生き続けているということが分かるはずである。「オリエント」をたずねることにはそんな意味がある」(p.34)

 本論では、古代から現代にわたるオリエント世界のつぶさな分析と紐付けが行われ、途切れることのない過去からの連鎖が「今」を形作っていることが見事に検証されています。

 その上で宮田さんはこう語ります。

「手段を選ばず国益を追求する欧米の意図がイラクやシリアのように、「殺し合うオリエント」をもたらした。かつて共存のシステムが機能し、世界の学芸科学の中心であったオリエントの歩みは、欧米の進出によって止まってしまったのかもしれない。しかし、そこに人間が営みを続ける以上、新たな歴史が作られていく。この新たな歴史がかつての繁栄し、まばゆいほどの光を貼っていたオリエントのようなものであってほしいと願わずにいられない」(p.200)

「書き換えられた歴史は、掘り起こして昔を知ることもできれば、その上に書き足してゆくこともできる。なによりオリエントには「寛容」がある。

オリエント共存の知恵はこの地域の過去の歴史的発展の中にあるという気がしている」(p.287)

 そして宮田さんは長年の研究から得た知恵を読者に授けてくれるのです。

イスラム世界と欧米が共存していくには、この両者の関係における「よかった過去」を思い起こすことが必要だ。もちろん「よかった過去」もあれば、「よくなかった過去」もある。いずれもが、人類がやって来たことであり、もはや否定することは出来ない。だからこそ求められるのは、そう「寛容」なのである」(p.288)

 寛容と共存。人を人たらしめ、正しい歩みを進めるために足下を照らす灯りは、未来学者やSF作家などではなく、過去より受け継がれてきた叡智として既に与えられているのだということを、宮田さんは示してくださるのです。