ねこえびすの名著決定版

野良ネコ音吉の勝手に決定「名著」ブログ

佐野洋子『私の猫たち許してほしい』

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「ドイツにいたとき、台所から隣りの家の小さな窓が見えた。その窓に、黒い洋服を着た老婆が、身動きもせず横を向いて座っていた。

 小さな窓は清潔なレースのカーテンで囲まれ、庭にはもやのかかったような枯草があった。毎日食事が終わると、私は隣りの窓を見た。老婆はすでに座っていた。私は、いつ老婆が立ち上がり、食事をしたり、家の中の事をするのだろうと思い、台所のスチームの上に、かえるのようにしゃがんで、老婆を見守った。

 いつまでたっても老婆は微動だにしなかった。窓の中の老婆は、額縁の中の絵であった。

 私が執念深く老婆が動くことを期待したのは、何であったのだろうか。

 たんなる下世話な好奇心であったのだろうか。生きていることは動くことであると信じている、思いあがりであったのだろうか。

 身じろぐこともなく老婆が座っているということが、強固に生きつづけているというあかしであり、命というものの不思議であった」

 

佐野洋子著『私の猫たち許してほしい』(ちくま文庫) p.66 - 67 

 

 佐野洋子さんは絵本『百万回生きたねこ』(1977)で広く世に知られた絵本作家にしてエッセイスト。2012年に惜しくも乳がんで帰天されましたが、その後も『ドキュメンタリー映画 100万回生きたねこ』(2012)や『ヨーコさんの言葉』(2014)などの映像作品が放送・放映されるなど、没後も高い人気をほこっています。

 男の僕からみると、佐野さんはズケズケものを言うオバちゃんと、自分を外から眺めることのできる能力を、綱渡りをしながら生き切った人だと感じています。

 佐野さんは世のオバちゃんと同じく、自分が大好きなんです。一方で自分を眺め、一刀両断するだけの知性と強靭な精神をもっているところが、佐野さんを佐野さんたらしめているんじゃないかなと。先の抜粋に登場する「私が執念深く老婆が動くことを期待したのは、何であったのだろうか」というくだりが正にそれです。

 佐野さんの魅力はもう一つあると思います。それは人に対する温かい眼差しです。世に切れ者のエッセイストは少なからずいらっしゃいますが、たいていの方は程度の差こそあれ、

「ね、私ってキレっキレでしょ!」

 という自慢が見え隠れするものですが、佐野さんのエッセイにはそれが微塵も感じられません。

 勝手な想像ですが、

「私ってね、ホントにバカだしオッチョコチョイなのよ。でもね、それが愛おしいのよね。私、私のことが大好きよ」

 って声が行間から聞こえてくるような気がするんです。佐野さん、そんなあなたの在りかた、僕も大好きですよ。