ねこえびすの名著決定版

野良ネコ音吉の勝手に決定「名著」ブログ

シモーヌ・ド・ボヴォワール『おだやかな死』

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 今回の本は、シモーヌ・ド・ボヴォワール(Simone de Beauvoir, 1908 - 1986)の『おだやかな死("Une mort très douce", 1964)』です。

 ボヴォワールのことは改めて説明するまでもないと思いますが、念のために簡単に。彼女は20世紀を代表する哲学者にしてフェミニストサルトルと共に神無き実存主義を牽引し、政治的には社会主義を標榜しつつ、書斎を出て女性開放運動に身を投じました。

 キリスト教徒の家庭に育った僕が教会に行かなくなったのは中学2年生の時のこと。以来、妻さんとの出会いで信仰を取り戻すまでの20年にわたって僕の心を占めていた実存主義哲学は、サルトルとボヴォワールの著作や、マスコミを通じて発信される彼らの発言によって彩られていました。

 ボヴォワールに関しては鮮烈な思い出があります。

 初めて渡欧した19歳の夏のことです。ドイツで僕の面倒をみてくれたスイス人の義姉の口から、

「女性の置かれている隷属的な状況は、男性から様々な権利を奪い取らなければ解決しない」

 という言葉が飛び出しました。

 日本でもフェミニズムという言葉や概念は既に存在しましたから知識としてはあったんですが、なにせ「女のくせに」とか「女々しい(これは未だに聞きますね)」なんて言葉がフツーに使われていた昭和でしたし、日本人的には激しく感じられる言葉に驚いて、

「男性に働きかけて、お互いに理解し合いながら現状を変えていくことって無理なのかな」

 と言ったら、

「涼太も所詮は男だよね。そんなヤワなことで解決できるわけがないでしょう。根深い問題なんだから」

 と鼻で笑われてしまいました。今にしてみれば彼女の言わんとしたことは明確に分かりますし、義姉の主張がボヴォワールの『第二の性』に基づいていることも知っているのですが、当時の僕は、その辺のインテリよろしく「知ってはいるが理解していない」甘ちゃんに過ぎませんでした。

 さて『おだやかな死(”Une mort très douce”)』ですが、この著書は、1964年にがんで亡くなった母にボヴォワールが付き添い、死を看取るまでに覚えた自身の心の動きを克明に書きとったものです。サルトルは同書を「シモーヌの最良の作品」と評価しています。

 

「非常に稀なことではあるが、愛や友情や仲間意識が死の淋しさに打ちかつことがある。しかし、外見にもかかわらず、私が母の手を握っている時でも、私は母とともにいなかった。母にうそをついていた。母は昔からずっとだまされ続けて来たひとだったから、この最後のうそは私にはたまらなかった。母に乱暴を働く宿命と私は共犯者になっていた。そのくせ、自分の肉体の細胞のひとつひとつで、私は母が死を拒む叫びに共鳴し、母の犯行に荷担していた。それゆえにまた、母の敗北は私を打ちのめした。母が息を引き取った時、私はそのばにいなかった ― ひとの臨終に立ち会ったことは三度もある ― それだのに、私が死の舞踏のあの死神の姿を見たのは母の枕もとだった。狡猾な、不気味に冷笑する死神、鎌を手に戸をたたく、お伽話の死神、奇怪な、非人間的な姿でやってくる死神、それどころか、大きな無智な笑いの中に顎の形をむき出しにしている母の顔さえそれはそなえていたではないか。

 「年に不足はない。」老人の悲しみ。彼らの流刑。大部分のものはこの不足のないという年を告げる鐘が鳴ったことを考えない。私もまた、自分の母親のことでさえ、この紋切型を利用した。七十歳以上の親なり祖父母なりをなくしたものが心から泣くことができるとは私には理解できなかった。母を失ったという理由で打ちひしがれている五十歳の同性に出逢ったら、私はそのひとを神経衰弱ときめつけたであろう。我らはすべて死すべきもの。八十と言えば、死人になる十分の資格のある年ではないか……。

 そうではなかった。ひとは生まれたから死ぬのでもなく、生き終ったから、年をとったから死ぬのでもない。ひとは何かで死ぬ。母が年から言って死期は遠くないと私が心得ていることが怖しい衝撃を緩和しはしなかった。悪性腫瘍ができていたという意外な事実の発見。癌、血栓、肺の充血、すべて空中でエンジンがとまったのと同じくらい、きびしいこと、思いがけぬことである。病床に釘づけになり、死に瀕していながら、刻々の時間の無限の価値を確認した時、母は私を楽天主義に誘った。しかしまた、母の空しい生への執着が日常茶飯の安全を保証したカーテンを引き裂いた。自然死は存在しない。人間の身におこるいかなることも自然ではない。彼の現存が初めて世界を問題にするのだから。ひとはすべて死すべきもの。しかし、ひとりひとりの人間にとって、その死は事故である。たとえ、彼がそれを知り、それに同意を与えていても、それは不当な暴力である」(p.155 - 157)